2010年郡上八幡旅行日記(その3)

旅行二日目です。ホテルを後にして長良川で少々水遊びをしました。まだ10時だというのに猛烈な暑さです。でも水は足がキンキンと痛む程の凍てつく冷たさです。それにしても水が綺麗です。

DSC_0361.jpg

すっかり体が冷えたので本日の目的地の郡上八幡城へ向かいました。せっかくなので麓へ車を止めて山道を歩いて行ってみました。徒歩15分程度の距離感ですが良い運動になります。というか汗びっしょりになります。

- スポンサーリンク -

DSC_0369.jpg

郡上八幡城です。小ぶりなヤツですがいい面構えをしています。もっとも城マニアでもないので萌えてはきませんけどね。せっかくなので wikipedia で歴史のお勉強をしておきましょう。

戦国時代末期の永禄2年(1559年)、遠藤盛数が八幡山の上に砦を築いたことが郡上八幡城の起源である。遠藤盛数が郡上八幡城を築くまでは、郡上一円は東(とう)氏によって支配されていた。東氏は、郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山に東殿山城を構えていたが、1559年(永禄2年)、遠藤盛数によって滅ぼされた。
遠藤氏は東殿山城を奪い、郡上一円を支配したものの、この城を好まず、東殿山城を攻撃したときに陣営を張った八幡山に城を築いた。
その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放される。慶隆追放後稲葉貞通が一時城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されている。
その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となる。廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊わされる。

う〜ん…日本史は苦手だっただけあって秀吉以外の名前が全然わかりません。

DSC_0378.jpg

お城の別アングル。撮影ポイントなのでしょう。wikipedia と全くお同じアングルでした。

DSC_0386.jpg

そしてこちらも同じアングル。後で知ったのですが、郡上八幡城から見おろすと町は魚の形をしているそうなんです。言われてみれば左を向いた魚に見えなくもないです。

DSC_0387.jpg

お城を後にする前の最後のワンショット。

DSC_0390.jpg

お城を後にし城下町を散策です。サンプル工房というロウでできた食品サンプルを作る工房へ行きました。レストランのショーウィンドウに飾られているアレを作っているところです。

DSC_0408.jpg

店内では完成品の食品玩具のアクセサリが一つ500円で売られています。見てると欲しくなってくるのですが。後々ゴミになりそうなのでぐっと我慢です。気持ち高めのお金を支払うとサンプル作りを体験することができます。娘が小さなケーキ作りを体験しました。

DSC_0412.jpg

店内奥では商品を作っている様子を見学することができます。

DSC_0420.jpg

それにしても見事なできばえです。ここのサンプル品は結構本物っぽい感じがします。

DSC_0413.jpg

お店を後にし昼食をとり散策も飽きてきたので、町中を流れる渓流で水遊びすることにしました。実家でプールで遊ぶことを想定して水着を持ってきていらのでラッキーでした。しかもたまたま駐めた駐車場裏が地元キッズの遊び場だったので、車中で着替えてすぐに遊ぶことができました。これまたラッキーでした。

DSC_0424.jpg

めちゃくちゃ水は冷たかったけど思いっきり泳いでみました。深いところで水深1m50cmくらいでしょうか。娘はお溺れる深さなので注意が必要です。なるべく足がつくところで遊びました。水中にはニジマスとかアマゴも泳いでいてついつい捕まえたくなりますが、まぁ一匹も捕まえることはできませんでした。

DSC_0436.jpg

プールとは違ってとにかく水が綺麗です。正直この旅行で一番楽しい時間でした。小一時間ほど泳いだら体も心から冷えてきたので実家へ帰ることにしました。

DSC_0439.jpg

最後に後悔しないように近くで炭火焼していたイワナを食してきました。さすがに激うまですね。お酒を飲みたくなる味です。

DSC_0445.jpg

名古屋から一時間強で着く距離感なので、来年の夏も岐阜方面に立ち寄ってみたいと思います。

おしまい。

- スポンサーリンク -

関連する記事&スポンサーリンク